大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和42年(ワ)10802号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕(二) 逸失利益

<証拠>によれば、原告は、昭和三九年四月、十数年間勤めてきた税務署を退職し、同年五月大和食品の税務顧問に就任にするとともに、同年七月中旬住友生命に保険外務員として入社したこと、本件事故の発生した同年一〇月一三日当時大和食品における顧問料は月二万五〇〇〇円であつたこと、原告は、住友生命において、入社後本件事件発生までの約三か月間に保険金額合計一六〇〇万円(うち一〇〇万円一口分は保険料の支払がなく失効)の保険勧誘に成功し、これに対する対価として、募集手当、奨励金、固定絡、継続募集手当、賞与等の名目の下に合計四三万七二五六円の給与を得たことが認められる。右事実によると、原告は、本件事故当時月平均一七万〇七五二円(右顧問料二万五〇〇〇円と住友生命における右給与の三分の一に相当する一四万五七五二円との合計額)の収入を得ていたことになる。

ところが、<証拠>によれば、本件事故により前記傷害を負つた原告は、事故後間もない昭和三九年一〇月一九日に行われた脳波検査の結果、脳波に異常が認められ、また、前記入、通院後も引続き頭痛、めまい、嘔気等の自覚症状を訴え、昭和四〇年六月ごろ前記牧田病院において、後遺障害等級七級に該当する間脳自律神経系の機能障害、精神神経症を残す旨の診断を受けるとともに、昭和四一年一一月には東大病院脳神経外科において、「頭部外傷後遺症として今後も治療を要するが難治であろう」との診断を受けたこと、そして、収入の面では、事故後前記顧問を解任され、主たる収入源であつた住友生命における保険外務員としての成績も悪化し、その経過を勧誘に成功した保険金額でみると、事故発生後昭和三九年一二月までは合計八三〇万円(原告の長女を被保険者とする保険金額七〇万円分を含む。)、原告が前記入院をした時期に該る昭和四〇年一月から同年一二月までは合計四六〇万円(原告の妻を被保険者とする保険金額三〇万円分を含む。)、昭和四一年一月から同年一二月までは合計一八七三万円(原告の長女を被保険者とする保険金額三〇万円分を含む。)であり、これに対応する原告の給与は、前記のように種々の名目で支給されるのであるが最終的には保険金額の約2.92パーセントであるから、昭和三九年度(事故発生後)が約二四万二〇〇〇円、昭和四〇年度が年間約一三万四〇〇〇円、昭和四一年度が年間約五四万七〇〇〇円であり、昭和四二年度はさしたる実績を上げ得ないまま同年春頃退職するに至り、また、住友生命と平行して昭和四一年九月に入社した計算センターも、仕事上のミスが多いことなどを理由に昭和四二年四月には解雇され、この間に得た給与は合計三〇万三八四〇円に止まつたことが認められる。右事実によると、原告の収入は、事故後大幅に減少し、前記入院した年の減少率が特に多いことからしても、右減収が前記傷害およびその後遺症と無関係でないことは疑う余地がない。

ところで、原告は、右減収分のすべてについて前記傷害およびその後遺症と相当因果関係があり、かつ、この減収状態は今後も継続すると主張するが、右主張は、次の理由により妥当でない。

まず、<証拠>によれば、原告が税務署を退職したのは、収賄の容疑で懲戒解雇されたものであり、この件で原告は、有罪判決(懲役二年、執行猶予三年、追徴金約五〇万円)を受けたこと、原告の所属していた住友生命丸の内支社八重洲支部では、年間七〇〜八〇名の保険外務員が入社し、ほぼ同数の者が一年位でやめて行き、平均勤務年数は一〜二年であることが認められる。右事実によると、保険外務員たる地位の不安定さもさることながら、原告は、刑事処分を受けたことにより失職をもしかねないハンデイキャップを負つているのであるから、原告の事故当時の前記収入をもつて継続性のある収入とみるのは困難である、のみならず、保険外務員の場合、自己の収入から特有の必要経費を相当額支出することは当裁判所が職務上知悉する事実であるし、また、右甲第九ないし第六二号証によると、住友生命における事故当時の給与の中には、保険金額五〇〇万円一口の勧誘に成功したことに対するもの十数万円を含むのであるが、原告が住友生命に勤務していた事故前後の約二年六か月間に保険金額五〇〇万円以上の保険契約を仲介したのは、右の一口だけであり、他はすべて保険金額三〇〇万円以下のものばかりであることが認められ、これによると、住友生命における事故当時の収入が高額なのは、多分に偶発的な面もあるのであつて、以上および後記の諸事情のほか、原告の年令(弁論の全趣旨によれば、昭和二年三月一日生れであることが認められる。)、税務署に勤務していた当時の月給(原告本人尋問の結果によれば、五万円足らずであつたことが認められる。)等を勘案すると、本件事故にあわなければ、その後数年間継続して得ることができたであろう原告の収入は、一か月平均一〇万円程度と推認するのが相当である。

次に稼働能力喪失の程度およびその継続期間の点であるが、<証拠>によれば、原告は、本件事故の約六か月前である昭和三九年四月四日にも自動車事故により側頭部打撲の傷害を受け、同月八日から八月一四日までの間に一七回前記牧田病院に通院しているのであるが、右事故の時にも一時脳波の異常が認められたこと(同年七月一八日に行われた第二回目の脳波検査の際には改善されていたのであるが、この点は、本件傷害についても同様であつて、昭和四〇年五月一七日に行われた第四回目の脳波検査の際には正常に復していた。)、原告を診察もしくは検査した各病院(前記各病院のほか、同年六月から八月にかけて東邦大学病院神経科および東京労災病院)では、異口同音に原告の後遺症を神経症的なものといつており、右東京労災病院にあつては、後遺障害等級を一四級と判定していること(ただし、当裁判所は後に判示するとおり一二級と判断する)、その頃自宅が競売に付され、立退きを迫られていたこと、昭和四二年六月頃妻から離婚の申立がなされたことが認められる。以上の事実によると、本件事故発生後の前記稼働能力の低下を本件傷害にのみ帰せしめるのは妥当でなく、前記懲戒免職以来約三年間に起つた刑事処分、二回のわたる自動車事故、住居の件および妻との折合が錯綜しつつ結合して右稼働能力の低下をもたらしたと考えるべきであつて、、前記の減収は、相当因果関係の範囲を超えているといわなければならない。

しかるとき、以上の諸事情に鑑み、本件事故と相当因果関係のある稼働能力喪失の程度およびその継続期間は、前記入院期間中をも含めて事故発生後一年間が喪失率五〇パーセント、その後二年間が喪失率三〇パーセントと認めるのが相当であり、これによると、原告の逸失利益は、一年目が六〇万円、二、三年目が各三六万円となり、合計一三二万円となる。なお、原告の後遺症に対する等級評価は、前記のように牧田病院と東京労災病院とで異なるのであるが、<証拠>によれば、右差異は、判定基準の違いにによるものであつて、前者が原告のあるがままの症状をそのまま評価したのに対し、後者は本件事故との相当性を考えたうえで評価したものと認められる。判定基準としては、後者の方が当を得ていると思われるが、《証拠》によると、前記東大病院における検査の結果脳波の異常が認められているので、右判定の結果には疑問があり、むしろ自賠法施行令別表一二級一二号に該当するものと認めるのが相当であろう。(倉田卓次 並木茂 小長光馨一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!